太極拳の融和の心身への作用

公園でよく見る健康太極拳ですが、本来太極拳の套路は、武術としての太極拳の練習の一環であり、又、単なる型ではなく、動きの連続性を練るような勢の連続的運用法なのです。ですから、最も大切なのは、その太極拳の型と型の間にある、過渡式といわれるつなぎ部分であり、それが太極拳を武術として運ぶことができるところです。
太極拳は太極拳本来の真の武術性を求めることによって、武術の根本にある 、人間本来の融和という能力を使った練習をすることができるのです。
融和というのは、太極拳においては合一といいますが、太極拳のあらゆる攻防理論にその意があります。
融和とは単純に考えると相手と融けあって和むということです。よく似たことで迎合というのは相手に従うのですが、融和は相手の動きに合一して、自分の中に溶け込ませてから、相手も自分として動かすことができるということです。
迎合と受容の違いは精神医学のカウンセリングの根本理論にありますが、それと全く同じで、太極拳の融和を、迎合と受容で勘違いすることだけでも全く違うものになってしまいます。
融和して攻防を行う武術の基本練習の一つとしての套路は、一般的な太極拳の套路のように決められた形や姿勢にのみに迎合することなどありません。
なぜなら、相手はいつも生きていて動いているからです。又自分自身もまず相手を受け入れるので頑固とした囚われを持つことで相手を受け入れることができません。
人間に潜在する能力は、枠や条件にはめず、おおらかに開放してこそ、発揮されます。それが太極拳の神髄です。そこには、人間本来の素晴らしい活力と、全てのものと仲良く調和できる陰陽合一性があるのです。
だから、道教の内家で太極拳法を創始した王宗岳が、太極拳の理論を明確に書いた太極拳経といわれる太極拳のバイブルに、融和合一については重ねて述べていて、形にとらわれて遠きを求めるような迎合と、融合という心構えの少しの違いが、修練に天地の隔たりをもたらすと、太極拳を学ぶものに強く釘を刺しているほどです。
太極拳は全てのものを受け入れて自分のものとして融和して自分なりのものにしてしまうという、基本理念があります。
これが太極という陰陽合一の精神であり、人間の心身に多大な素晴らしい影響を及ぼします。
自分の中にある自分の受け入れがたいものを受け入れることを自己受容といいます。自己受容があると、自己以外のものもたやすく受け入れる器ができます。そして受け入れたものを自分のものとして相手と共有できます。
例えば相手の攻撃も、自分のものとして共有することができ、それを使って相手が滞ったり、相手の空っぽなところに侵攻することができます。相手は自分自身でそれを受け入れることができていなければ、もちろんこちらの侵攻に支配されてしまいます。
このような攻防が太極拳です。真の太極拳の修練は何にも侵攻されない、そして全てが自分の命の中にあることを知っている、融和された円満な本来の心身を復活することができるのです。

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