雪遊び

昨夜からすごい勢いで降り続いた雪、今朝ワクワクしながら起き、早速近隣公園に遊びに行きました。 まだ公園のグランドは誰にも踏まれていなかったので、真っ白なキャンバスに足踏みしていろんな絵を描きました。

うちの前に積もった雪は、ちょうど人差し指がすっぽり埋まる程度の、約5㎝の積雪。 車に積もったきれいな雪で、雪だるまを作りました。 近くにあった小枝で手と口、洗濯ばさみの目でできあがった雪だるまは、『キッス』と名付けられました。 まるで、アメリカのハードロック・ヘヴイメタルバンドの『KISS』みたいな表情だったから!! 遊んでいるときは楽しくて夢中だから寒さも感じないけど、うちに帰ったとたん手足が凍るようでした。

花粉症と太極拳

いよいよ花粉症のシーズンです。今年は花粉量も多いとか。

花粉症などのアレルギーは副交感神経の暴走(異常興奮)によって悪化します。
太極拳は副交感神経を使った武道です。多くある武道の中でも全く逆の神経作用を使用しています。
従って、呼吸法も吐納法という逆腹式呼吸になっています。そのため多くのリラックス効果を得て、健康にとても良いのは周知の事実です。
主にガンや、炎症系の病気は交感神経が暴走することが要因になることも知られています。
多くの場合は、リラックスした、副交感神経優位の生活を送っていれば、このようなリスクは相当軽減されます。
ところが、副交感神経が優位ではなく暴走しがちになると、免疫系のバランスが狂うこととなり、今度はアレルギーの体質に身体が導かれていきます。
リラックスしすぎも良くないということではなく、その暴走が要因なのです。
暴走とは中心に戻ってこない、要はたこ糸が切れたたこのようになってしまうということです。
一度アレルギー体質になってしまうとなかなか、この暴走体質を元に戻すのは大変です。
太極拳は副交感神経を使う武道ですので、免疫などの感受性の幅がとても大きくなります。そのため、現在の汚染物質の多い日常では、花粉もその一つとして感受してしまうほどの感受性が育つ場合もあります。
そこで、花粉症の人の太極拳は、副交感神経と交感神経の交差バランスを最も重視しなければなりません。
そのためには、昼間に攻防ができる散手などの練習を多用することです。そうすると、副交感神経が発勁と蓄勁時に使用され、交感神経も過渡時に使用されます。
そこで副交感神経、交感神経、副交感神経と自律神経の相互和合バランスが強化されます。
太極拳の套路や站椿の修練ばかりをしていると副交感神経優位の体質になりやすく、交感神経を多用する武道ばかりを練習していると交感神経優位の体質になりやすくなります。
アレルギー体質への対処のためには、太極拳を練習するときには、副交感神経が暴走しないように日常生活を注意する方が良いでしょう。
まず、大切なのは昼間の太極拳の散手練習などですが、仕事をしている人は毎日行えないと思います。(夜は逆効果です)
しかし、朝の套路と夜の站椿だけで、昼間はコンピュータに向かって仕事をしたり、座り放しや、又はだらっとした生活を送っていると、バネの弱い神経系統になり、太極拳の朝の套路と夜の站椿がより副交感神経の暴走に拍車をかけることにもなりかねません。ですから最も大切なのは、せめて気を入れるような運動、例えば無酸素運動、筋トレや、腹筋などを昼間に行うことです。太極拳をやっている場合、筋トレなどで筋肉をつけるとその筋肉に頼ってしまう傾向があるので、あまり筋トレなどを求めていませんが、要は頼らないように修練すればいいだけで、筋肉が付くこと自体には、あまり重くなったり弊害が出ない限りはよいと思います。
ですから、花粉症を改善したい場合は、太極拳をされている方はより、昼間の腹筋やスクワットなどの交感神経を多用する運動をお勧めします。又は、他の武術練習の拳脚をするのも良いと思います。このようなことを太極拳家が言うことは珍しいと思いますが、医学の範疇にあることです。
それと、他にも色々な花粉症改善のための方法があります、その一つとして、点穴術を使用します。
両手両足などの爪の生え際に井穴(せいけつ)というつぼがあります。
その中でも薬指の小指側の部分が、副交感神経の暴走を抑える、すなわち調整する井穴です。三焦系という交感神経を刺激する経穴です。
太極拳をやっていると、指先の井穴からエネルギーがわき出て体中に流れていくのがよくわかります。三節や龍の勢という太極拳の基本練習で習得します。
薬指の小指側の井穴、ここを指などで刺激すると、アレルギーに効果があります。他の指は主に副交感神経系を刺激するので、交感神経系の暴走調整になります。
土いじりや、料理、指先を刺激する日常生活をしている人は、人間の指先にある井穴が結構刺激されます。
足の方は畑仕事や、裸足で歩くと刺激されます。
そんなことが少ない、または生活を緊張させている現在人には、井穴を直接もむ爪もみや、三節を使用した点穴術がおすすめです。
三節を使用した点穴術は修練が必要ですが、爪もみは自分の人差し指と、親指で片方の薬指の先を横からつまんで、爪の付け根にある井穴をもめば良いだけです。暫くやっていると、頭もはっきりしてきますから、そこが効果が出始めたときですので目安になります。一日に数回を昼間に行うことで、くせになるほど年中やっていることをお勧めします。
急性の副交感神経の暴走によるアレルギー発作には、自分で出来る対症療法もありますが、まずは、予防のために、副交感神経の暴走体質を改善することが大切です。
太極拳を行っていると、免疫系統が活発になる副交感神経が優位になる体質になり、ガンや炎症などのリスクが軽減します。しかし、逆のこのような作用もあることを覚えておいてください。

太極拳の融和の心身への作用

公園でよく見る健康太極拳ですが、本来太極拳の套路は、武術としての太極拳の練習の一環であり、又、単なる型ではなく、動きの連続性を練るような勢の連続的運用法なのです。ですから、最も大切なのは、その太極拳の型と型の間にある、過渡式といわれるつなぎ部分であり、それが太極拳を武術として運ぶことができるところです。
太極拳は太極拳本来の真の武術性を求めることによって、武術の根本にある 、人間本来の融和という能力を使った練習をすることができるのです。
融和というのは、太極拳においては合一といいますが、太極拳のあらゆる攻防理論にその意があります。
融和とは単純に考えると相手と融けあって和むということです。よく似たことで迎合というのは相手に従うのですが、融和は相手の動きに合一して、自分の中に溶け込ませてから、相手も自分として動かすことができるということです。
迎合と受容の違いは精神医学のカウンセリングの根本理論にありますが、それと全く同じで、太極拳の融和を、迎合と受容で勘違いすることだけでも全く違うものになってしまいます。
融和して攻防を行う武術の基本練習の一つとしての套路は、一般的な太極拳の套路のように決められた形や姿勢にのみに迎合することなどありません。
なぜなら、相手はいつも生きていて動いているからです。又自分自身もまず相手を受け入れるので頑固とした囚われを持つことで相手を受け入れることができません。
人間に潜在する能力は、枠や条件にはめず、おおらかに開放してこそ、発揮されます。それが太極拳の神髄です。そこには、人間本来の素晴らしい活力と、全てのものと仲良く調和できる陰陽合一性があるのです。
だから、道教の内家で太極拳法を創始した王宗岳が、太極拳の理論を明確に書いた太極拳経といわれる太極拳のバイブルに、融和合一については重ねて述べていて、形にとらわれて遠きを求めるような迎合と、融合という心構えの少しの違いが、修練に天地の隔たりをもたらすと、太極拳を学ぶものに強く釘を刺しているほどです。
太極拳は全てのものを受け入れて自分のものとして融和して自分なりのものにしてしまうという、基本理念があります。
これが太極という陰陽合一の精神であり、人間の心身に多大な素晴らしい影響を及ぼします。
自分の中にある自分の受け入れがたいものを受け入れることを自己受容といいます。自己受容があると、自己以外のものもたやすく受け入れる器ができます。そして受け入れたものを自分のものとして相手と共有できます。
例えば相手の攻撃も、自分のものとして共有することができ、それを使って相手が滞ったり、相手の空っぽなところに侵攻することができます。相手は自分自身でそれを受け入れることができていなければ、もちろんこちらの侵攻に支配されてしまいます。
このような攻防が太極拳です。真の太極拳の修練は何にも侵攻されない、そして全てが自分の命の中にあることを知っている、融和された円満な本来の心身を復活することができるのです。

太極拳で生成と破壊の新陳代謝

人間の生理には新陳代謝があります。

新陳代謝はいうなれば生成と破壊が一体として行われています。

この新陳代謝が正常に行われていると、人間の心身は正常に保たれています。

太極拳はこのような陰陽のバランスを心身に呼び戻すための、バイオフィードバック効果もあると考えられています。

套路を行っていて、そのバランスの調和を乱す働きを、自らの心身の動きで取り除いていくことで、なめらかな滔々としたと套路を完成させていきます。

この感覚を元に、日常生活においても、その感覚を持って最初のうちは意識的に自らを見つめて、その内に無意識にその感覚の中で生きていきます。水が流れるような感覚です。

このような生成と破壊のバランスは日常的にバランスを崩しては、恒常性を維持する働きが生まれると言うことを繰り返して、心身を維持しています。

太極拳の套路でも、套路がうまくできるまでは多くの人が経験する感覚です。

ところが、意識において、何らかのこだわりや滞りが生まれると、太極拳の套路でも破壊が進み、生成がおぼつかなくなります。

簡単に言うと、太極拳の型がスムーズに動かなくなります。套路においてはそのようなことが無いようになめらかに円運動を繰り返していくのですが、日常生活においてみると、普通ではそのような感覚で生活しているわけではありません。

例えば、三毒という煩悩があります。一つは貪り、そして飢餓から生まれる怒りのしん瞋、そしてその飢餓と貪りの元が見つからない愚かな痴です。このような煩悩から、人間の心身に作用する感情は怒りや不満、そして我慢などです。

唯識論参照 http://www.amrm.org/i/?cat=9

例えば、太極拳の内丹術では、怒りを息とともに外に吐ききれず怒りを残すような生活を行っていると、食道や肺、肝臓に破壊と生成の過剰が生まれます。前者は炎症、後者はガンなどです。

怒りを吸い込み腹に落としてためる場合は、胃や十二指腸、膵臓に、怒りを不満に抑え込み、水と共に外に出してしまおうとするが出し切れない場合は、腎臓や大腸や膀胱、女性の場合は子宮などに破壊と生成の過剰が生まれます。

三毒は心臓から始まるとされているので、もちろん心臓からの気血が作用するのです。心臓と各臓器は綿々と途切れることのない呼吸によって気と血が循環することで、新陳代謝をスムーズに正常に保ちます。

このような全身を巡る経絡に沿ってなめらかに心身が動く感覚を、太極拳の套路で感じて修練して、そして日常生活にそのまま活かしていくことが、太極拳のような陰陽バランスと同じ新陳代謝を自らの心身に取り戻す為の方法でもあると思います。

無源(むげん)という無限(むげん)なことについて

太極拳は、道教の理論と合致しているところから太極拳と名付けられたのですが、道教の祖は老子というおじいさんです。

テレビの香取慎吾が主人公の西遊記では、「おっぱいまつり」が大好きなおじいちゃんでした。

太極拳は中国の道教のお寺で、少林寺の内家から流れ出た僧達によって主に伝承されていて、道教のお寺が集まる武当山はいうなれば太極拳のメッカでした。(古き当時はまだ太極拳とは呼ばれていませんでした)

その老子が残した道教の道経の第四章は無源というタイトルです。無限とは限りがないということですが、この場合は源がないということになります。

太極拳にも源はありません。平たく言うと、套路の型にしてもそれが源ではなく、そこからのスタートでもありません。

技を覚えても、型を覚えても結局は、その場になってもそのとおりには使えません。太極拳はいざというときに源のない勢を使いますから,死にものぐるいの火事場のくそ力を普段から練習して思い出しておくだけのものです。その技には意識も形のようななんの源もないのです。

このように、太極拳は、深く自分の中にある人間としての無意識よりも深い生理力学を使うのですが、その源はどこにあるのかを考えます。

その源は太極拳では、神(しん)と呼ぶ,魂のようなものをさします。(魂ではありません)この源はいくら探しても見つからないし、源などはないと説明したのです。

神(しん)とは人間が今までにこの世に存続してきたことの、目に見えない力、生命力とも存在力とも言える、根本的生命力のようなものでしょう。

この力のことをあの【おっぱい祭り】大好きなおじいさんは、無源といい、源のないもの、すなわちいくら使ってもなくならない、いくらでも使う事の出来る無限のものであると説明しているのです。

もちろんこのようなものは、説明してもしきれるものでもなく、経験して感じるものです。

この経験は思想や概念で到底説明できませんが、太極拳を修練していると無源のものに巡り会うことが出来ます。

源のないもの、いくらくみ上げても枯れることのない生命力のようなもの、これをいつも使うことが大事なのです。

源のあるもの、形のあるもの、例えば筋肉や道具、身体や神経、意識や目や鼻、口,足や手などなどを使っていると、どんどん源が枯れてきます。

源になる部分をいくら鍛えても、使えばその源はそれなりに減ります。

少なからずとも無源のものは、常に使っているのですが、それに気づいていないと、おもに有源のものを使って生きることになります。

もし、無源のものに気づけば、使い方を太極拳で繰り返し経験することが出来ます。 この源のない勢を使っているととても気持ちよく,すがすがしい楽しい気分になります。

太極拳の練習をしていて熟練してくると、必ずと言っていいほどこのような感覚が増えてきます。

無源のものを使っていると、その無源のものが自分を通じて環流する感覚を思えます。

生命の内側から外側に向かっていき、又新たなものが生命の内側に新陳代謝するような感覚です。

太極拳の内丹では大周天と呼び、套路などでその感覚を経験します。

単純にイメージかもしれませんが,イメージではなく事実かも知れません。これが無源ということです。

「無源第四」道冲而用之或不盈。淵乎似萬物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似常存。吾不知誰之子。象帝之先。

新年あけましておめでとうございます。

無始から無終までを太極と考えているのが太極拳です。

始まりもなく終わりもないということです。

円運動や連続運動は、どこが始まりでどこが終わりということがなく、滔々と回り動き続けるというところです。

このような太極拳でも、無極という何もない完全なる無を迎えます。無極を呼吸などでいうと一切呼吸をしていないところです。意識ですらしていないところです。

そして、無呼吸から呼吸の揺らぎが生まれます。揺らぎは呼吸の始まりです。そしてその呼吸は充満と消滅というピークを迎えます。呼気であれば身体の中の息は完全に外へ出て行きます。吸気であれば、身体の中は吸気で充満します。もう息を吐けない、吸えないというところです。

そしてその呼吸は体内で充満がはち切れ、また体外に出尽くして、呼吸は無極を迎えます。意識を失いそうになるときです。座禅でいう無の状態ですが、それを太極拳では動きの中で絶えず繰り返していきます。その連綿たる動きによる発動が太極拳の原理です。いつまでも止まらない躍動的な動きです。

太極拳の套路はいうなれば、何度も何度も大晦日と新年、季節の春から夏、秋そして冬を迎えながら、心身の織りなす歴史を套路の中で繰り返しているようなものです。

一年に置き換えると、元旦は揺らぎの始まるとき、そして大晦日は充満や消滅を迎えるとき、そして除夜の鐘を聞きながら充満や消滅が消え去り、完全なる無に消え入るときです。

そして日の出と共に、又は除夜の鐘が鳴り終わるのと共に、揺らぎが始まります。

人生の1年は365日ですが、太極拳の1年は一呼吸です。

今年もゆっくりゆっくりと人生の一年をかみしめて、又新たな揺らぎを始めたいと思います。

それでは皆さん旧年中はお世話になりました、本年もよろしくお願い致します。

文鳥のひな、産まれました

我が家には現在、13羽の文鳥たちがにぎやかに暮らしています。

今シーズンも、仲良しペアから11月3日〜9日に可愛いヒナたちが産まれました。

人間に慣らすために、生後2週間で巣から出し、今は挿し餌を定期的にあげて育てています。

しかしすべてうちで育ててあげることは困難なため、もし欲しい方がいらっしゃればお譲りします。

そろそろ自分で餌を食べられるようになると思います。

文鳥はもともと甘えん坊でとっても良く人になれる性質なので特に1羽だけで飼うと人間にべったりになり、かわいいですよ!

大腰筋はおおらかに気持ちよく鍛えます。

大腰筋が衰えると様々な障害が出てきます。お肉で言うとヒレ肉ですね。

太極拳では、ゆっくり動いて大腰筋の動きをよくとらえます。筋と言っても筋肉の方ではなく、筋と骨のつながりをつかみ取ります。そのつながりが柔らかく多様であればあるほど、腰は鬆(す)の入ったような軽い感覚になり、すなわち太極拳での鬆腰となります。

大腰筋と背骨のつながりは、その刺激が真っ先に刺爬虫類の脳といわれている脳幹の原始脳に伝わります。脳幹は、間脳、中脳、橋、延髄で構成されていて、人間が手を使い始めたことによって、脊髄が発達したものとされているところです。

套路やエアロタイチを動いているときに、大腰筋が緊張しているかどうかを感じながら、その部分がリラックスして気持ちよくなるように動くようにします。

その気持ちよさと自分の心の動きがしっかりと身体に染みつき、どんどんと大腿筋が正常に躍動し始めます。そして中腰の姿勢が、深層筋である大腰筋を表層の随意筋に従わせて動かすのです。中腰の姿勢が維持できる太極拳の運動がそれを持続的に可能にするので、ものの5分もすると脳幹が大きく刺激され、生命の根幹が生き生きとしてくるのです。

少しのことですが、腰を落としたり、のばしたり、歩幅や足の置く場所、上体などの動きによって、浅部や深部、その部位が、一本ではない細い筋肉の集まりである大腿筋の使う場所が変わってくるのです。武道の動きで効率的に重心移動や、下半身の上下運動、バランス運動を繰り返すことでその全ての部位が補強されます。

特に大腿筋は深層筋であり、ゆっくり動くことで鍛えることが出来ます。速い動きは表層の筋肉を多用するので、どうしてもそれにとらわれてしまいます。

又、安全域を考えて制定された範囲内の動きでは、その部分は衰えるばかりであり、又刺激もされません。少し自分の安全域を超えていくような気持ちで、どんどんと安定域を広げていきます。自分で少しバランスが崩れそうな部分までを少しずつゆっくりと套路や、エアロタイチなどの練習で広げていくと、そのバランスを保とうとする大腰筋がしっかりと育ってきます。太極拳をやっている人で腰が悪い人が多いのは、制定された太極拳を安全域で行っているため、大腰筋はますます退化し、刺激もされないので、脳幹もそれでいいものとして全体の運動能力を低下させていくのです。

大切なことは、形や姿勢、決められた動きなど守らず、条件をつけず、おおらかに気持ちよく、生き生きと動くということです。

楊無敵と言われた太極拳の楊式の創始者、楊露禅は套路の写真などは残していませんが、楊式を世界中に広める基礎を作った、その孫に当たる楊家第三代の楊 澄甫などの套路の写真をみればわかるように、蹬脚などの時の套路の足は今の太極拳のように高く上げることもなく膝も曲がり、そのほかの型を見ても自由な動きであったことが伺えます。今の制定太極拳で太極拳の要求だと言われているような形や姿勢に当てはめると、楊 澄甫はなってないということになります。楊無敵と言われた楊露禅は型を教えることなく、ひたすら対錬という散手を中心にゆっくりと動くことを修行させ、その備忘録として108の型をつなぎ合わせて套路という単練の型のつながりを作り上げ、それを毎日弟子達に自宅などで行わせていたということです。単純に、つなぎ合わせることが出来たのが108だったと言うことであり、それ以上に多種多様に太極拳の型はありました。それを今はある形にまとめて体裁と見た目や要求する条件を整え太極拳だとして行っていることが、本来の太極拳から大きく遠ざかる原因だとも言われています。このように大腿筋一つをとっても、おおらかな動きで初めて健全になるものであり、決められた型にはめていった太極拳で大腰筋が育つものではないことがおわかりいただけると思います。

姿勢や若さ、健康の要、仙骨のお話です。

仙骨は人間の背骨を支える土台です。 仙骨の上に、背骨が乗っています。

人体のほぼ中心で、骨盤の中央にあり、その先には尾てい骨があります。

この仙骨が腰から上の体全体を支えていますから、これが、おかしくなると全てが大変なことになります。

太極拳の内丹術での整体は、仙骨の調整を最も重要視しています。 私の知り合いの整骨院でも、この仙骨の調整で全てが解決します。 多くの人がここのゆがみで苦しんでいます。

仙骨の周辺には太陽叢(たいようそう)という大きな太陽のように放射する自律神経の固まりがあります。 腹脳とも言われます。ここを下丹田。胸にある胸腺の位置にある、中丹田。脳内の深い部分にある松果体を上丹田として、気を循環させます。

どれも、いやなことや辛いことがあると痛く、重くなる部分ですね。 良いことがうれしいことがあるとスカッとする部分です。

下丹田は自律神経の要、中丹田は免疫の要、特に胸腺が衰えることが老化になります。上丹田は人間が生きる上でとても重要な、睡眠を正常にするなどのホルモン、メラトニンを分泌し、メラトニンは鬱病や神経症の治療薬として注目されているセロトニンから生成されます。

ここで中心に気を通し、調整しますが、この中心が歪むと仙骨をはじめ背骨も大きく歪み、身体のバランスが大きく崩れます。 その結果、著しく身体波動は低下し、内臓や精神までもその影響を及ぼし、病気や症状という形で発生します。

この調整は、初歩は、仙骨内の活性化です。 ここでは、仙骨の中心部には臍下丹田と言われ非常に重要視されているエネルギー球体が有ります。この丹田の源を活性させることで、エネルギー源を活発にします。

まず、立禅という立って行う禅を行います。

立禅において、自然呼吸で、身体を調え、心を調え、念を止めて心身を落ち着かせます。次に心と呼吸を合わせます。 そこから吐納法という呼吸法を行います。 最初は自然呼吸の文息(意識が弱めの静かな呼吸)で、 その後に強い意識で武息(深い強い呼吸)を丹田が熱くなる感覚に沿って繰り返します。 良く腹式呼吸と言われますが、正しくは逆腹式呼吸です。 よく言われる気功がこの段階です。

息は印堂という眉毛の間の経穴から息を吸うような感覚で、吐きながら丹田に意識で落とします。体の中心を走る経絡を使います。(奇経の衝脈)

これが静功です。

丹田がぽかぽかしてきたら、エネルギー球体をへそ(神闕:しんけつ)のところに意識し、へそ下(気海=きかい)、関元(かんげん)=へそと恥骨の中間、中極(ちゅうきょく)=へそから恥骨までを5等分し、その5分の4下がったところ、(3つ合わせて臍下丹田)に落とします。 そこから会陰(えいん)=肛門の1センチ前→尾閭(びろ)尾骨の先端→命門(めいもん)へその真後ろ 第2・第3腰椎の間→夾脊(きょうつい)命門のすこし上のところ→心兪(しんゆ)肩甲骨の間の真ん中→大椎(だいつい)首の一番大きな突起の下、第7頚椎と第1胸椎の間→玉枕(ぎょくちん)眼球の真後ろ 「枕があたる骨」→百会(ひゃくえ)頭の頂上 両耳の先端から、真っ直ぐに上がったところ→印堂(いんどう)=眉間→山根(さんこん)両目頭の間を「エネルギーのボール」を舌を上顎につけて下へ誘導していきます。 そして唾液を飲み下し、天突(てんとつ)喉仏の下→(だんちゅう)=左右の乳頭の中間で胸腺の位置(中丹田)→中月完(ちゅうかん)→神闕(しんけつ)へそに戻り、神闕にある「エネルギーのボール」を一度丹田内(関元=へそ下三寸→会陰=肛門前→尾閭=尾てい骨→命門=へそ裏→神闕=へそ)で回転させます。

これを起勢という、太極拳の型を使って行います。 ゆっくりやればやるほどいいのです。

内丹術ではここまでを築基(ちくき)と言います。動きと呼吸と気が一致して動きます。

動功です。これを繰り返し延々と練習します。 3年くらいはこれしか教えない武当派の流派もあります。

ここまでは基礎を作る段階です。要は未病状態ではない体にするという段階です。 うまくいっていると、少し歩いただけでも、掌がまっ赤になる五気順布という現象が現れます。いつでもそれが出来るようになると、もう気功師の入口です。 レイキなどの簡単な気功が行えます。 冬でも手がぽかぽかです。

この後は、より健康な体、本来の素晴らしい潜在能力を呼び戻す段階です。

内丹術の小周天や大周天という技法を使います。 両方とも古式太極拳の型の中で行っていきます。 とても深い長い道ですが、正しい内丹術に沿った、おおらかな套路を毎日続けてやることで驚くほど早い時間で内丹で仙人を目指せます。

太極拳が熟練してくると、築基の静功と動功を詳しくやります。

中心が正しく整っているかは、新聞紙の筒を使ったバランスで検査します。 気が通ったかどうかは、掌で分かります。