簡化24式太極拳で骨の髄まで練り上げる技法(単行本)
〓〓〓真の太極拳を学ぶ教本〓〓〓
現在、世界中で普及する太極拳は、現在の中国政府が健康体操として制定したもので、制定太極拳とも言います。特に簡化二十四式太極拳は最も普及しています。
しかしながら、古武道である太極拳を制定して体操化した時点で、武当山の内丹修行者の導引術として発達した「宗門の行」である多くの技法は全く失われています。
特に楊式の太極拳を基にした二十四式や八十八式の制定太極拳は、形だけが残され、「宗門の行」として行われていた太極拳と形はほとんど同じですが、歩法や勢い、気の発し方、型の繋ぎ目、型の動きなど全く違うものになっています。
簡化二十四式は腐っても楊式の太極拳の形を残しており、誰でもが簡単に動くことができるもので、太極拳の入り口として最適です。
しかしながら、体操のような太極拳の形をまねたとしても、多くの普及型の太極拳愛好者に、腰や膝、首などの故障する人が多いのも実情です。
本来の太極拳は、座って坐道で自然体と中心を練り、立って腰と股、膝と首などの捻転を練り、気の通り道を経絡により練り上げて行きながら、套路という総合練習を行うものです。それらをおろそかにして、ただ単に体操として太極拳を行うのであれば、太極拳の皮だけを被った体操としか言えません。
書籍「簡化二十四式太極拳で骨の髄まで練り上げる技法」は、とても深くて重要な領域を最初から練り上げながら、二十四式といえども、とても優れた導引術を身につける入門編です。
独特であるように見えますが、今日本で普及している現在の中国政府が政策として制定した太極拳自体が、「宗門の行」である古式の太極拳から見ると独特であるとも言えます。この書籍を教本として太極拳を学べば多くの理解を得るはずです。
現在簡化二十四式などを学ばれている方は、今の形をせっかく覚えたのですから、動きがやや違うから、独特だなどと排除せず、その形の内にある骨肉を身につけることを求めれば、形も荘厳な内容のある質の高い太極拳に練り上げることができます。形に拘らず、太極拳は十三勢と言われている「勢い」を根幹とする武道ですから、その勢いを得て結果として形があることがわかれば、自ずから古式の素晴らしい真の太極拳の形になります。
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2013年 太極拳発表会 スプリングフェスティバル
場所:横浜市青葉区 藤が丘地区センター
日時:4月21日(日) 11時55分開館宣言
入場無料
参加者フォト及び当日の記録動画はこちらです。(要パスワード)
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出演者 発表演目・練習用動画
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入場
◯立禅・雲手 ・野馬分鬃・撇身捶・高探馬
鎮座
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●散手1
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甲乙予備式
甲・左手揮琵琶ー乙・右手揮琵琶
甲・進歩右上捶ー乙・左野馬分鬃
甲・右雲手ー乙・右野馬分鬃
甲・左雲手ー乙・右玉女穿梭
甲・右撇身捶ー乙・左高探馬帯採腿
甲・右前転手揮琵琶ー乙・進歩手揮琵琶
甲乙収勢
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起立
◯十字腿・斜飛式・下勢・打虎式
鎮座
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●散手2
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甲乙予備式
甲・左手揮琵琶ー乙・左手揮琵琶
甲・進歩右上捶ー乙・進歩十字腿
甲・左斜飛式ー乙・左下勢
甲・右野馬分鬃ー乙・左打虎式
甲・右前転手揮琵琶ー乙・転身手揮琵琶
甲乙収勢
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起立
◯提手上勢・倒攆猴・玉女穿梭・金鶏独立
鎮座
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●散手3
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甲乙予備式
甲・左手揮琵琶ー乙・右手揮琵琶
甲・進歩二連上捶ー乙・退歩提手上勢
甲・玉女穿梭中捶ー乙・扇通背中捶
甲・換歩倒攆猴左靠ー乙・右打虎式
甲・左野馬分鬃中肘ー乙・右抱虎上推
甲・左劈身捶ー乙・右野馬分鬃右靠
甲・左打虎式ー乙・右劈身捶
甲・左右手揮琵琶ー乙・退歩手揮琵琶
甲乙収勢
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●散手4
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甲乙予備式
甲・左手揮琵琶ー乙・左手揮琵琶
甲・進歩右上捶ー乙・進歩採挒鎌掌
甲・倒攆猴穿梭中冲(合法)ー
乙・倒攆猴穿梭中冲(合法)
甲・俯堅掌金鶏纏腕から左腰腿摔角・捻華纏腕(裁法)・地震脚
乙・横転手揮琵琶ー甲・進歩手揮琵琶
甲乙収勢
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起立
◯胆式
終了
深い眠りを
昨日で3回の夜間クラス体験が終わり、参加されたみなさんからは「このような自分の体をゆっくりと見つめながら動く時間はとても大事だと感じたし、楽しかった」「体の緊張感がだいぶほぐれた」「経絡を感じながら動かすのが興味深かった」など、様々なうれしい感想をいただきました。
この体験会も、残すところ来週の9月20日(木)で終わり、いよいよ10月からは夜間クラスが始まります。
体の重要な内臓や神経、生理などを調整しながら、太極拳の型を経絡に沿って覚えていくのは、とても理知的で、より太極拳の深さを味わえます。
そして何より、心身がリラックスして良いホルモンが沢山出ているような心地よさのまま、お風呂に入って深い眠りにつけることが、夜間クラスを終えると実感できます。
夜間クラスで覚えた数々の内丹術や太極整体、導引法、運気法、呼吸法を毎晩の日課とすれば、太極拳の大切な根本だけでなく、人生を健康に楽しく生き抜く糧となることは間違いありません。
免疫力と多幸感と快感を、太極拳と頭推按で。
このようなホルモンが分泌されると、気分が高揚しストレスを解消するため、免疫力が高まって病気にかかりにくくなります。
花粉症と太極拳
いよいよ花粉症のシーズンです。今年は花粉量も多いとか。
太極拳の融和の心身への作用
太極拳で生成と破壊の新陳代謝
人間の生理には新陳代謝があります。
新陳代謝はいうなれば生成と破壊が一体として行われています。
この新陳代謝が正常に行われていると、人間の心身は正常に保たれています。
太極拳はこのような陰陽のバランスを心身に呼び戻すための、バイオフィードバック効果もあると考えられています。
套路を行っていて、そのバランスの調和を乱す働きを、自らの心身の動きで取り除いていくことで、なめらかな滔々としたと套路を完成させていきます。
この感覚を元に、日常生活においても、その感覚を持って最初のうちは意識的に自らを見つめて、その内に無意識にその感覚の中で生きていきます。水が流れるような感覚です。
このような生成と破壊のバランスは日常的にバランスを崩しては、恒常性を維持する働きが生まれると言うことを繰り返して、心身を維持しています。
太極拳の套路でも、套路がうまくできるまでは多くの人が経験する感覚です。
ところが、意識において、何らかのこだわりや滞りが生まれると、太極拳の套路でも破壊が進み、生成がおぼつかなくなります。
簡単に言うと、太極拳の型がスムーズに動かなくなります。套路においてはそのようなことが無いようになめらかに円運動を繰り返していくのですが、日常生活においてみると、普通ではそのような感覚で生活しているわけではありません。
例えば、三毒という煩悩があります。一つは貪り、そして飢餓から生まれる怒りのしん瞋、そしてその飢餓と貪りの元が見つからない愚かな痴です。このような煩悩から、人間の心身に作用する感情は怒りや不満、そして我慢などです。
唯識論参照 http://www.amrm.org/i/?cat=9
例えば、太極拳の内丹術では、怒りを息とともに外に吐ききれず怒りを残すような生活を行っていると、食道や肺、肝臓に破壊と生成の過剰が生まれます。前者は炎症、後者はガンなどです。
怒りを吸い込み腹に落としてためる場合は、胃や十二指腸、膵臓に、怒りを不満に抑え込み、水と共に外に出してしまおうとするが出し切れない場合は、腎臓や大腸や膀胱、女性の場合は子宮などに破壊と生成の過剰が生まれます。
三毒は心臓から始まるとされているので、もちろん心臓からの気血が作用するのです。心臓と各臓器は綿々と途切れることのない呼吸によって気と血が循環することで、新陳代謝をスムーズに正常に保ちます。
このような全身を巡る経絡に沿ってなめらかに心身が動く感覚を、太極拳の套路で感じて修練して、そして日常生活にそのまま活かしていくことが、太極拳のような陰陽バランスと同じ新陳代謝を自らの心身に取り戻す為の方法でもあると思います。
無源(むげん)という無限(むげん)なことについて
太極拳は、道教の理論と合致しているところから太極拳と名付けられたのですが、道教の祖は老子というおじいさんです。
テレビの香取慎吾が主人公の西遊記では、「おっぱいまつり」が大好きなおじいちゃんでした。
太極拳は中国の道教のお寺で、少林寺の内家から流れ出た僧達によって主に伝承されていて、道教のお寺が集まる武当山はいうなれば太極拳のメッカでした。(古き当時はまだ太極拳とは呼ばれていませんでした)
その老子が残した道教の道経の第四章は無源というタイトルです。無限とは限りがないということですが、この場合は源がないということになります。
太極拳にも源はありません。平たく言うと、套路の型にしてもそれが源ではなく、そこからのスタートでもありません。
技を覚えても、型を覚えても結局は、その場になってもそのとおりには使えません。太極拳はいざというときに源のない勢を使いますから,死にものぐるいの火事場のくそ力を普段から練習して思い出しておくだけのものです。その技には意識も形のようななんの源もないのです。
このように、太極拳は、深く自分の中にある人間としての無意識よりも深い生理力学を使うのですが、その源はどこにあるのかを考えます。
その源は太極拳では、神(しん)と呼ぶ,魂のようなものをさします。(魂ではありません)この源はいくら探しても見つからないし、源などはないと説明したのです。
神(しん)とは人間が今までにこの世に存続してきたことの、目に見えない力、生命力とも存在力とも言える、根本的生命力のようなものでしょう。
この力のことをあの【おっぱい祭り】大好きなおじいさんは、無源といい、源のないもの、すなわちいくら使ってもなくならない、いくらでも使う事の出来る無限のものであると説明しているのです。
もちろんこのようなものは、説明してもしきれるものでもなく、経験して感じるものです。
この経験は思想や概念で到底説明できませんが、太極拳を修練していると無源のものに巡り会うことが出来ます。
源のないもの、いくらくみ上げても枯れることのない生命力のようなもの、これをいつも使うことが大事なのです。
源のあるもの、形のあるもの、例えば筋肉や道具、身体や神経、意識や目や鼻、口,足や手などなどを使っていると、どんどん源が枯れてきます。
源になる部分をいくら鍛えても、使えばその源はそれなりに減ります。
少なからずとも無源のものは、常に使っているのですが、それに気づいていないと、おもに有源のものを使って生きることになります。
もし、無源のものに気づけば、使い方を太極拳で繰り返し経験することが出来ます。 この源のない勢を使っているととても気持ちよく,すがすがしい楽しい気分になります。
太極拳の練習をしていて熟練してくると、必ずと言っていいほどこのような感覚が増えてきます。
無源のものを使っていると、その無源のものが自分を通じて環流する感覚を思えます。
生命の内側から外側に向かっていき、又新たなものが生命の内側に新陳代謝するような感覚です。
太極拳の内丹では大周天と呼び、套路などでその感覚を経験します。
単純にイメージかもしれませんが,イメージではなく事実かも知れません。これが無源ということです。
「無源第四」道冲而用之或不盈。淵乎似萬物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似常存。吾不知誰之子。象帝之先。