想念太極拳

人間はまず感覚があり、それを感受します。(感受性)
感受した物事の感覚を想念(心に浮かぶ思い)で処理して、観念(その感覚に対して抱く考えや思い)をもちます。
想念太極拳は感覚を感受したときに浮かぶ想いで動く太極拳です。
想念太極拳は、単純に環境の感覚や、身体の変化の感覚をまず受けて、その想念が浮かんできたところをとらえて、それを循環させて消滅させていきます。その繰り返しです。
いつの間にか、長い套路の中で浮かんでくる、環境から受ける感覚に対するストレスや、身体の感覚から受けるストレスが心地良くなっていきます。生まれては消え、生まれては消えていくという循環を覚えます。
これが、日常的にも生かされてくるのです。
そしてもう一歩、レベルを上げた想念太極拳は、環境や身体だけでなく、過去の思い出や、未来の出来事にまでその範囲を広げていきます。
すなわち心の領域です。
套路を始めたら、まず、過去にあった色々なことを思い出します。
もしも思い出したくない不幸な出来事や、嫌な思い出があれば、それを思い出してみます。
その感覚を思い出します。
そこに浮かぶ想念は、套路をスムーズにこなせばこなすほど、いつまでもそこに止まることはできず、消え去っていきます。
逆に、それに囚われると、套路がスムーズに動きません。
未来の出来事もそうです。不安になりそうなことがもしあればそれを想像してみます。
同じように、いつまでもその考えに囚われれて套路を行うことなどできません。
それが太極拳の套路なのです。
想念をとらえて動く、その動きは、套路の動き方に秘密があります。
環境や、身体、そして思い出や未来の感覚を受けた時を聴勁(感覚を受けたことを感受する能力=感受性)で感受します。すなわち呼吸をため込み、蓄勁(勁という力のようなものを内部にため込んでいく)を行います。環境や、身体、そして思い出や未来の感覚は感受され、想念として膨らんでいきます。呼吸はゆっくりと文息(ほとんど呼吸をしていないような状態)で吸い込みます。
動きとしては、まるでゴムまりがキンキンにはち切れそうになるような動作です。
次に、その想念は飽和を迎えます。もうこれ以上ゴムまりがキンキンにならないのに、それ以上にふくれあがろうとしている状態です。動きとしては行き過ぎの状態です。(無呼吸です)
その行き過ぎから、元に戻ろうとする勢を利用して動きます。
動きと同調しながら、想念もしぼんでいきます。
ここで、想念太極拳を修行したものは、動きがスムーズに行われます。
呼吸はゆっくりと文息で吐いていきます。
そして吐ききったところで、もう一度吐いて、想念は消え去ります。
この繰り返しで、自らの過去のトラウマや、未来の不安も無常のものであることを心身と共に経験していくのです。
その経験は認識となり、環境の変化や、身体の異変などのストレス、過去のこだわりや嫌な思い出、未来の不安や妄想などが、浮かんでは消えていくという色(世の中の全ての形有る事象)が空(実体は中身が何もない)であり、実体が何もないような空なものであっても、形もあるものであると言うことが経験としてわかるようになります。
その、想念太極拳の套路の修行を重ね、上達すると、その套路を一月に一度ほどやるだけで、その日からの景色が変わります。
想念太極拳を繰り返していると、いずれ、日常的にも想念はその時のありのままの姿だけをとらえて、固定した観念に囚われることが無くなります。
そうすると、次は瞑想太極拳の修行レベルに入ります。

免疫力と多幸感と快感を、太極拳と頭推按で。

50メートルプールに一滴垂らすほどの量で、完全な作用をもたらすと言われているホルモンのように、人間の体内や脳内には人間の生命や精神に多大な影響をもたらす物質があります。
そのひとつは、脳の中で作られる麻薬に似たエンドルフィンという物質で、とくに作用の強いベータエンドルフィンはモルヒネの6倍の強さを持ち、脳内麻薬(脳内モルヒネ)と呼ばれています。脳内で麻薬と同じような効果をもたらしますが、もちろん生体内に自然に生成されるものなので中毒になるということもありません。
いい音楽を聞いたり親しい人と会話を楽しんでいるときなどに分泌されるため、快楽物質とか幸せホルモンとも呼ばれ、性行為をすると、β-エンドルフィンが多く分泌されます。
このような快感を覚える脳内ホルモンには、エンドルフィンのほかにも、セロトニン、エンケファリンなどが20種類も見つかっています。
特に、精神性の高い欲求を実現している際には、エンドルフィンは抑制されずに放出されつづけるらしいのです。
このようなホルモンが分泌されると、気分が高揚しストレスを解消するため、免疫力が高まって病気にかかりにくくなります。
とくにベータエンドルフィンは、免疫機能をつかさどるT細胞やB細胞、さらにガン細胞を殺すNK細胞などの免疫細胞を増殖したり活性化する働きがあり、老化を防ぐことになります。
逆にイライラや怒りなど精神的にストレスが加わると、エンドルフィンの分泌は抑えられ、かわりに脳からノルアドレナリンという物質が分泌されます。
さらに恐怖を感じる時にはアドレナリンが分泌されます。このような緊急時には、快楽物質とか幸せホルモンと呼ばれるエンドルフィン系では、危険を回避するには役に立たないからです。しかし、これらは毒性のきつい物質で、これが出やすい人は、老化しやすく、免疫力が低下して病気にかかりやすくなってしまいます。
経穴などを点穴や鍼灸などの技術で的確に刺激すると、エンドルフィンが分泌されることが明らかになっています。
頭部にある経穴を経絡に沿って気功を行う、頭推按(とうすいあん)という太極拳の外気功術などもエンドルフィンを分泌させて様々な効果をもたらすもののようです。
頭推按では頭部の経絡と経穴に、武当派の太極拳で修行される点穴術(急所を突く術)を、活法(活力を与える法)として気功を行うものです。
ベータエンドルフィンなどは、脳の神経細胞などの間で情報を伝達したり作用する重要な脳内物質です。
このような物質が正常に保たれていると、脳内で報酬系(満足したときに活性化する系統)といわれる部位が活性化し快の感覚を感じるのです。
頭推按で、脳内の気と血の流れを、経絡と経穴の緊張緩和と緩慢緊縮により改善することで、脳内の様々な生理作用のホメオスタシス(恒常性維持、つまり最も正常な状態に戻ろうとする機能)が正常化すると考えられています。正常化すると、脳内には様々な物質が正常に放出されるのは当然のことです。
脳内には、マリファナなどとよく似た内因性カンナビノイドなども見つかっており、トラウマの記憶を消去する効果も持っているそうです。このような物質も正常であれば、十分に放出されます。
また、太極拳で放出されることで有名なセロトニンは、不安や興奮、不快感を鎮める「リラックス」のホルモンですが、現代人においては不足しているらしいです。セロトニンは、喜びや快楽で興奮すると出るドーパミン(快)や、恐れたり驚いたりすると出るノルアドレナリン(不快)の情報をコントロールして鎮める精神安定の効果があるといわれています。また、人間の精神に多幸感、他者との共有感などをもたらします。
ドーパミンが適当に放出されながら気が充満した感覚と、その解毒を上回るエンドルフィンが放出されている快感と、セロトニンというリラックスホルモンによる多幸感と共有感という愛に包まれているような感覚が、確かに太極拳や頭推按にはあります。

太極拳出演・平成23年度スプリングフェスティバル

平成23年度スプリングフェスティバルが平成23年4月24日(日)に開催します。
場所は青葉区藤が丘1-14-95の藤が丘地区センターです。
http://藤が丘地区センター.com

■下記の内容で太極拳の套路と用法で出演します。

(ご紹介)
太極拳は中国の伝統的な武術です。その練習方法として型を連続して行う套路というものがあります。
よく公園などでやっているもので皆さんもご存じですよね。型は何百とありますが、今日は最もポピュラーな型を中心にご紹介します。

(手揮琵琶:しゅきびわ)
それではまず最もポピュラーな型、手揮琵琶から単独の型をやってみます。縮めて膨らむという自然な勢いです。次は蹴り足をつけてみます。このように型には色々な要素が含まれます。太極拳は勢という自然な勢いを使う武術で、套路は勢を練習します。

(単鞭と高探馬:たんべんとこうたんま)
次は単鞭です。合わせて開く勢を使います。右手は鈎手で指先に勢を集中させるためのものです。 高探馬です。中心を動かさず中心で回転する勢です。単鞭から高探馬を組み合わせます。合法(ごうほう)と言います。これを連ねていくと套路になります。今回は攻防一体の技をご紹介します。単鞭と高探馬でやります。

(雲手と海底針:うんしゅとかいていしん)
次は雲手です。雲がわき上がるように、下の手と上の手が合わさって十字に交差して行く勢です。
次は海底針です。海底針は上から下そして中心にすくい込む勢です。
雲手と海底針を組み合わせます。太極拳は投げ技、関節技、もちろん突きや蹴り、そして固め技まであらゆる勢を使います。今回は摔角(そっかく)という投げ技をご紹介します。
雲手と海底針でやります。

(搂膝拗歩と金鶏独立;ろうしつようほとかいていしん)
次は搂膝拗歩という型です。中心で回転しながら中心を後ろから前へ移動させる勢です。その勢いで攻防を行います。 次は金鶏独立です。金鶏独立は中心をそのままにして、上に巻き上がる勢です。そのときに下へ向かう勢で交差する勢を起こします。
ろう膝拗歩と金鶏独立を組み合わせます。それを使って攻防一体の膝蹴りのカウンターキックをやってみます。

(倒攆猴と指襠捶:とうでんこうとしとうすい)
倒攆猴です。中心をそのままにして、中心で前後を入れ替える勢です。この場合は後ろへ下がりますが、前に向かいながら入れ替えるものもあります。
次は指襠捶という型です。先ほどの搂膝拗歩と違って、中心で回転しながら前にある相手の中心に向かっていく勢です。倒攆猴と指襠捶を組み合わせてやってみます。この2つの型を使って、とても痛い擒拿術(きんなじゅつ)の一つである関節技と、鑚勁(きんけい)と言われる急所を固めてから撃つ技をやってみます。

(進歩搬攔捶と如封似閉と白鶴亮翅:しんぽはんらんすいとにょふうじへいとはっかくりょうし)
次は進歩搬攔捶と如封似閉を合わせてやります。これは套路では一体になっている型ですので一体でやります。中心を相手からそらしながら回転して前に進む勢です。合わせて戻りながら自分の中心に相手を引き込みます。
次は、白鶴亮翅という型です。中心を移動させながら回転して、元いた場所から逆側に回転するという複雑な勢です。投げ技に多用します。以上を組み合わせて行ってみます。
太極拳は一つの型に含まれている多くの勢で、蹴りや突き、防御と攻撃、投げ技、関節技、抜き技、固め技、点穴という急所を撃つ技など数多く技を構成しています。
今日はほんの一例でしたが、次にこれらを使って高度な技をやってみます。

(最後に)
太極拳は医術と武術を融合させたもので、医武同源と呼ばれています。
最後に太極拳の呼吸法、逆腹式呼吸を型にした胆式をやります。立禅という基本姿勢から、大きく息を吸います。お腹がへこみます。吸いきってもう一度吸ってから、ゆっくりと吐いていきます。息はお腹に半分入り、目と目の間からゆっくりと半分抜けていく感覚です。
腰まで手が来たら手を落として吐ききり、再度吸って吐きます。もう一度です。
ありがとうございました。

自力整体

寒い冬の間はどうしても外に出るのがおっくうになったり、体が縮こまって知らず知らずのうちに肩や腰が凝ることがあります。

手先足先の末端冷え性がなかなか改善しないまま春を迎える人も多いようです。

寒くて朝の早起きがつらく、毎朝の食事前の軽い運動(太極拳や畑仕事や家事)が不足して、運動不足で血流が滞っていることが一番の原因なのではないかと思います。

そこで運動不足に陥った心身を自力で整体して改善するということを考えてみます。もちろん太極拳にも自力整体の術があります。太極拳で自力整体といったらちょっと難しそうですが、太極拳などで新しく何かを行う事が重要なのではなく、普段の生活習慣をいかに脱力して自力で整体して、自然治癒力を維持していくかということにも焦点を当ててみます。

そんな自力整体の3つの脱力(筋肉・内臓・心)をふまえて、自分の心と体を見つめ直すヒントを載せてみたいと思います。

◎筋肉の脱力◎

本来人間は、健康な体を維持できる恒常性を持って生きています。そのバランスが崩れたときに、病気にかかってしまうわけです。例えば、体の中では常にガン細胞が作られていますが、発生する場合としない場合があります。発症する原因は、心的ストレスや暴飲暴食、肉体疲労など何らかの原因からくる自然治癒力の低下にあります。この自然治癒力の維持こそ、最近話題となっている予防医学と繋がってくるところでしょう。この自然治癒力とは、東洋医学で言う『気』(生命が活動するためのエネルギー)が全身を流れてクリーニング&メンテナンスをしてくれる活動のことです。『気』は、緊張している部分は避けて通る習性があります。つまり、筋肉・内臓・脳の全てが脱力していることが自然治癒力を高める最大のポイントになるということです。ところで、『気』には二通り有ります。病を作るような悪い気と、自然界や宇宙と繋がっている良い気です。脱力により全身のツボが開かれていると、そこから自分の中の不要な気『邪気』を排泄し、自然治癒力を助ける宇宙自然からの気『生気』が入ってくるのです。太極拳でも、『用意不要力』という言葉があります。『意を用いて、力は要らず』という意味です。早起きして公園に行った日は、その言い伝え通り体の力を抜き、ゆっくりした動きの中でエネルギーを全身にめぐらせ宇宙の気と繋がることをイメージして太極拳を行うと、体があったかくなり、自然と一体になった感覚が体感でき、ます。これこそ、本来の人間の姿なのでしょう。しかし、普段の生活では、いかに無意識で慌ただしく動いていることが多いことか。知らぬ間に心や体を緊張させてしまっているのですね。そこで、縮んでいる筋肉に体重をかけ、指圧したりねじったり伸ばしたりして筋肉や関節を元の脱力した状態に戻すことが自力整体なのです。つまり、体が脱力して初めて整体がつくられ、ゆがみやこり、痛みを無くせるということです。

自然な脱力状態をつくる

体のゆがみは人それぞれで、そのゆがみによって全体のバランスがとれている場合もあります。しかし、単なる生活習慣による癖で起きたゆがみは、体に不調をもたらします。その一番の原因は、急いだり、頑張って力んでしまったりすることです。急ぐと、上半身に力が入って緊張し逆に下半身の力が抜けてしまいます。この様な無意識の習慣が、ゆがみになってしまうのです。背骨を中心とした体の中心軸を保ち、しなやかでありながらどっしり地に足のついた下半身に重心がある脱力状態を作り出すには、先のことをあれこれ気にもまず、今この瞬間に焦点を当てて楽しむこころ構えが一番大切です。そして普段の行動においても、次のように少し意識することで脱力状態を増やすことができます。

<歩き方>

代表的な歩き方としては、二通りあります。一つは、腕を前後に振りながら腕と足を逆方向にして歩く『行動型股関節歩行』で、西洋型とも言われています。

もう一つは、腕を振らずに同じ側の腕と足を同時に出して歩く『ナンバ歩き型骨盤歩行』で、日本型と言われるものです。この歩き方の違いは、西洋人と日本人の体型の違いからきたものなので、日本人にとって一番緊張のない歩き方としては『ナンバ歩き』なのでしょうが、結果的にその人にあった長く歩いても疲れない歩き方が理想です。

そう言われてみると、日本の時代劇では、みんな上半身が板のようにまっすぐな状態で歩いていました。初めは着物が着崩れないための楽な歩き方でそうなったのかと思いましたが、体型的な理由があったのですね。また数年前、陸上競技の短距離走オリンピック選手が、今まで腕を前後に振っていた走り方のフォームをナンバ走りに変えたところ、タイムがグッと縮まったといったドキュメント番組を見たことを思い出しました。

<荷物の持ち方>

疲れない荷物の持ち方は、できるだけ体に近いところでものを持つことです。特に、ウエストポーチやリュックサックのように体の中心部に密着させている荷物ほど、軽く感じられます。確かに、山歩き用の大きなリュックを背負うときは、重量30㎏くらいあるものなのに、ウエストベルトを締めて荷物と体を密着させると、ほとんど重みが感じられなくなります。重いものを持ち上げる場合も、荷物を体に引き寄せて体の中心と荷物の中心を合わせると持ち上げやすいです。

逆に、体の末端つまり手先に持っている荷物ほど、重く感じられます。買い物袋をぶら下げて持つときは、小指と薬指で袋を引っかけるようにして持つと、肘がしまって肩に力が入らないので脱力して持つことができます。私も実験してみましたが、肩と肘は張らないので楽な感じです。しかし、普段あまり使わない指に力が入るので、そこが少しつらいところでした。

◎内臓の脱力◎

体の筋肉の脱力は分かりやすいですが、自然治癒力を高めて健康を維持するには、内臓の脱力も欠かせません。それには、空腹状態で脱力した睡眠時間が重要になってきます。快眠・快便によって内臓を脱力させ、食事に関しては、栄養のとりすぎは体調不良の元であると言う考え方です。実際、人間の体は空腹には強いけれど、過食や満腹には弱くできています。長い歴史をさかのぼって、狩猟生活の時代を想像すればわかることです。人間の内臓は、一日のうち2時間くらいが腹八分目で、あとは空腹であることが当たり前として作られているのです。現代人は、昔の人と比べて約3倍の内臓エネルギーを浪費しているそうです。私たちの老化や死は、老廃物の蓄積によるものです。体内で発生する老廃物の処理が出来ずに溜まると毒素に変化し、その毒素が体内組織の細胞分裂を阻害していくと死に至ります。多く食べるから内臓が疲れて老廃物や毒素が溜まり、少なく食べることで老廃物や毒素が排出されやすくなるのです。

◎こころの脱力◎

普段の生活で感じる様々な不安、恐怖などは、素直に受け入れ、それにとらわれない生き方が重要です。先のことを不安がって妄想したときには、何かしら心の動きが生じているはずです。それをしっかり自覚して受け入れることによって、新たな選択が生まれてきます。そしてやると選択したものは覚悟して楽しんでやることが、脱力したこころの生き方です。

体にしても心にしても、まずはどんな自分でも受け入れていく事からすべては始まります。いろんな自分を自覚してさえいれば、どんな行動でも自分の中の最善を選択して起こすことが出来るからです。自力整体では、いかに普段の自分を感じていくことが大切かを教えてくれているような気がします。特に、体は生きていく上でかけがえのないパートナー。だからこそ、いつも体と相談しながら過ごすことは大事なことですよね。この記事を読みながら、少しでもみなさんが今の自分を振り返れるようなゆったりした時間をとれたならうれしく思います。

花粉症と太極拳

いよいよ花粉症のシーズンです。今年は花粉量も多いとか。

花粉症などのアレルギーは副交感神経の暴走(異常興奮)によって悪化します。
太極拳は副交感神経を使った武道です。多くある武道の中でも全く逆の神経作用を使用しています。
従って、呼吸法も吐納法という逆腹式呼吸になっています。そのため多くのリラックス効果を得て、健康にとても良いのは周知の事実です。
主にガンや、炎症系の病気は交感神経が暴走することが要因になることも知られています。
多くの場合は、リラックスした、副交感神経優位の生活を送っていれば、このようなリスクは相当軽減されます。
ところが、副交感神経が優位ではなく暴走しがちになると、免疫系のバランスが狂うこととなり、今度はアレルギーの体質に身体が導かれていきます。
リラックスしすぎも良くないということではなく、その暴走が要因なのです。
暴走とは中心に戻ってこない、要はたこ糸が切れたたこのようになってしまうということです。
一度アレルギー体質になってしまうとなかなか、この暴走体質を元に戻すのは大変です。
太極拳は副交感神経を使う武道ですので、免疫などの感受性の幅がとても大きくなります。そのため、現在の汚染物質の多い日常では、花粉もその一つとして感受してしまうほどの感受性が育つ場合もあります。
そこで、花粉症の人の太極拳は、副交感神経と交感神経の交差バランスを最も重視しなければなりません。
そのためには、昼間に攻防ができる散手などの練習を多用することです。そうすると、副交感神経が発勁と蓄勁時に使用され、交感神経も過渡時に使用されます。
そこで副交感神経、交感神経、副交感神経と自律神経の相互和合バランスが強化されます。
太極拳の套路や站椿の修練ばかりをしていると副交感神経優位の体質になりやすく、交感神経を多用する武道ばかりを練習していると交感神経優位の体質になりやすくなります。
アレルギー体質への対処のためには、太極拳を練習するときには、副交感神経が暴走しないように日常生活を注意する方が良いでしょう。
まず、大切なのは昼間の太極拳の散手練習などですが、仕事をしている人は毎日行えないと思います。(夜は逆効果です)
しかし、朝の套路と夜の站椿だけで、昼間はコンピュータに向かって仕事をしたり、座り放しや、又はだらっとした生活を送っていると、バネの弱い神経系統になり、太極拳の朝の套路と夜の站椿がより副交感神経の暴走に拍車をかけることにもなりかねません。ですから最も大切なのは、せめて気を入れるような運動、例えば無酸素運動、筋トレや、腹筋などを昼間に行うことです。太極拳をやっている場合、筋トレなどで筋肉をつけるとその筋肉に頼ってしまう傾向があるので、あまり筋トレなどを求めていませんが、要は頼らないように修練すればいいだけで、筋肉が付くこと自体には、あまり重くなったり弊害が出ない限りはよいと思います。
ですから、花粉症を改善したい場合は、太極拳をされている方はより、昼間の腹筋やスクワットなどの交感神経を多用する運動をお勧めします。又は、他の武術練習の拳脚をするのも良いと思います。このようなことを太極拳家が言うことは珍しいと思いますが、医学の範疇にあることです。
それと、他にも色々な花粉症改善のための方法があります、その一つとして、点穴術を使用します。
両手両足などの爪の生え際に井穴(せいけつ)というつぼがあります。
その中でも薬指の小指側の部分が、副交感神経の暴走を抑える、すなわち調整する井穴です。三焦系という交感神経を刺激する経穴です。
太極拳をやっていると、指先の井穴からエネルギーがわき出て体中に流れていくのがよくわかります。三節や龍の勢という太極拳の基本練習で習得します。
薬指の小指側の井穴、ここを指などで刺激すると、アレルギーに効果があります。他の指は主に副交感神経系を刺激するので、交感神経系の暴走調整になります。
土いじりや、料理、指先を刺激する日常生活をしている人は、人間の指先にある井穴が結構刺激されます。
足の方は畑仕事や、裸足で歩くと刺激されます。
そんなことが少ない、または生活を緊張させている現在人には、井穴を直接もむ爪もみや、三節を使用した点穴術がおすすめです。
三節を使用した点穴術は修練が必要ですが、爪もみは自分の人差し指と、親指で片方の薬指の先を横からつまんで、爪の付け根にある井穴をもめば良いだけです。暫くやっていると、頭もはっきりしてきますから、そこが効果が出始めたときですので目安になります。一日に数回を昼間に行うことで、くせになるほど年中やっていることをお勧めします。
急性の副交感神経の暴走によるアレルギー発作には、自分で出来る対症療法もありますが、まずは、予防のために、副交感神経の暴走体質を改善することが大切です。
太極拳を行っていると、免疫系統が活発になる副交感神経が優位になる体質になり、ガンや炎症などのリスクが軽減します。しかし、逆のこのような作用もあることを覚えておいてください。

太極拳の融和の心身への作用

公園でよく見る健康太極拳ですが、本来太極拳の套路は、武術としての太極拳の練習の一環であり、又、単なる型ではなく、動きの連続性を練るような勢の連続的運用法なのです。ですから、最も大切なのは、その太極拳の型と型の間にある、過渡式といわれるつなぎ部分であり、それが太極拳を武術として運ぶことができるところです。
太極拳は太極拳本来の真の武術性を求めることによって、武術の根本にある 、人間本来の融和という能力を使った練習をすることができるのです。
融和というのは、太極拳においては合一といいますが、太極拳のあらゆる攻防理論にその意があります。
融和とは単純に考えると相手と融けあって和むということです。よく似たことで迎合というのは相手に従うのですが、融和は相手の動きに合一して、自分の中に溶け込ませてから、相手も自分として動かすことができるということです。
迎合と受容の違いは精神医学のカウンセリングの根本理論にありますが、それと全く同じで、太極拳の融和を、迎合と受容で勘違いすることだけでも全く違うものになってしまいます。
融和して攻防を行う武術の基本練習の一つとしての套路は、一般的な太極拳の套路のように決められた形や姿勢にのみに迎合することなどありません。
なぜなら、相手はいつも生きていて動いているからです。又自分自身もまず相手を受け入れるので頑固とした囚われを持つことで相手を受け入れることができません。
人間に潜在する能力は、枠や条件にはめず、おおらかに開放してこそ、発揮されます。それが太極拳の神髄です。そこには、人間本来の素晴らしい活力と、全てのものと仲良く調和できる陰陽合一性があるのです。
だから、道教の内家で太極拳法を創始した王宗岳が、太極拳の理論を明確に書いた太極拳経といわれる太極拳のバイブルに、融和合一については重ねて述べていて、形にとらわれて遠きを求めるような迎合と、融合という心構えの少しの違いが、修練に天地の隔たりをもたらすと、太極拳を学ぶものに強く釘を刺しているほどです。
太極拳は全てのものを受け入れて自分のものとして融和して自分なりのものにしてしまうという、基本理念があります。
これが太極という陰陽合一の精神であり、人間の心身に多大な素晴らしい影響を及ぼします。
自分の中にある自分の受け入れがたいものを受け入れることを自己受容といいます。自己受容があると、自己以外のものもたやすく受け入れる器ができます。そして受け入れたものを自分のものとして相手と共有できます。
例えば相手の攻撃も、自分のものとして共有することができ、それを使って相手が滞ったり、相手の空っぽなところに侵攻することができます。相手は自分自身でそれを受け入れることができていなければ、もちろんこちらの侵攻に支配されてしまいます。
このような攻防が太極拳です。真の太極拳の修練は何にも侵攻されない、そして全てが自分の命の中にあることを知っている、融和された円満な本来の心身を復活することができるのです。

太極拳で生成と破壊の新陳代謝

人間の生理には新陳代謝があります。

新陳代謝はいうなれば生成と破壊が一体として行われています。

この新陳代謝が正常に行われていると、人間の心身は正常に保たれています。

太極拳はこのような陰陽のバランスを心身に呼び戻すための、バイオフィードバック効果もあると考えられています。

套路を行っていて、そのバランスの調和を乱す働きを、自らの心身の動きで取り除いていくことで、なめらかな滔々としたと套路を完成させていきます。

この感覚を元に、日常生活においても、その感覚を持って最初のうちは意識的に自らを見つめて、その内に無意識にその感覚の中で生きていきます。水が流れるような感覚です。

このような生成と破壊のバランスは日常的にバランスを崩しては、恒常性を維持する働きが生まれると言うことを繰り返して、心身を維持しています。

太極拳の套路でも、套路がうまくできるまでは多くの人が経験する感覚です。

ところが、意識において、何らかのこだわりや滞りが生まれると、太極拳の套路でも破壊が進み、生成がおぼつかなくなります。

簡単に言うと、太極拳の型がスムーズに動かなくなります。套路においてはそのようなことが無いようになめらかに円運動を繰り返していくのですが、日常生活においてみると、普通ではそのような感覚で生活しているわけではありません。

例えば、三毒という煩悩があります。一つは貪り、そして飢餓から生まれる怒りのしん瞋、そしてその飢餓と貪りの元が見つからない愚かな痴です。このような煩悩から、人間の心身に作用する感情は怒りや不満、そして我慢などです。

唯識論参照 http://www.amrm.org/i/?cat=9

例えば、太極拳の内丹術では、怒りを息とともに外に吐ききれず怒りを残すような生活を行っていると、食道や肺、肝臓に破壊と生成の過剰が生まれます。前者は炎症、後者はガンなどです。

怒りを吸い込み腹に落としてためる場合は、胃や十二指腸、膵臓に、怒りを不満に抑え込み、水と共に外に出してしまおうとするが出し切れない場合は、腎臓や大腸や膀胱、女性の場合は子宮などに破壊と生成の過剰が生まれます。

三毒は心臓から始まるとされているので、もちろん心臓からの気血が作用するのです。心臓と各臓器は綿々と途切れることのない呼吸によって気と血が循環することで、新陳代謝をスムーズに正常に保ちます。

このような全身を巡る経絡に沿ってなめらかに心身が動く感覚を、太極拳の套路で感じて修練して、そして日常生活にそのまま活かしていくことが、太極拳のような陰陽バランスと同じ新陳代謝を自らの心身に取り戻す為の方法でもあると思います。

無源(むげん)という無限(むげん)なことについて

太極拳は、道教の理論と合致しているところから太極拳と名付けられたのですが、道教の祖は老子というおじいさんです。

テレビの香取慎吾が主人公の西遊記では、「おっぱいまつり」が大好きなおじいちゃんでした。

太極拳は中国の道教のお寺で、少林寺の内家から流れ出た僧達によって主に伝承されていて、道教のお寺が集まる武当山はいうなれば太極拳のメッカでした。(古き当時はまだ太極拳とは呼ばれていませんでした)

その老子が残した道教の道経の第四章は無源というタイトルです。無限とは限りがないということですが、この場合は源がないということになります。

太極拳にも源はありません。平たく言うと、套路の型にしてもそれが源ではなく、そこからのスタートでもありません。

技を覚えても、型を覚えても結局は、その場になってもそのとおりには使えません。太極拳はいざというときに源のない勢を使いますから,死にものぐるいの火事場のくそ力を普段から練習して思い出しておくだけのものです。その技には意識も形のようななんの源もないのです。

このように、太極拳は、深く自分の中にある人間としての無意識よりも深い生理力学を使うのですが、その源はどこにあるのかを考えます。

その源は太極拳では、神(しん)と呼ぶ,魂のようなものをさします。(魂ではありません)この源はいくら探しても見つからないし、源などはないと説明したのです。

神(しん)とは人間が今までにこの世に存続してきたことの、目に見えない力、生命力とも存在力とも言える、根本的生命力のようなものでしょう。

この力のことをあの【おっぱい祭り】大好きなおじいさんは、無源といい、源のないもの、すなわちいくら使ってもなくならない、いくらでも使う事の出来る無限のものであると説明しているのです。

もちろんこのようなものは、説明してもしきれるものでもなく、経験して感じるものです。

この経験は思想や概念で到底説明できませんが、太極拳を修練していると無源のものに巡り会うことが出来ます。

源のないもの、いくらくみ上げても枯れることのない生命力のようなもの、これをいつも使うことが大事なのです。

源のあるもの、形のあるもの、例えば筋肉や道具、身体や神経、意識や目や鼻、口,足や手などなどを使っていると、どんどん源が枯れてきます。

源になる部分をいくら鍛えても、使えばその源はそれなりに減ります。

少なからずとも無源のものは、常に使っているのですが、それに気づいていないと、おもに有源のものを使って生きることになります。

もし、無源のものに気づけば、使い方を太極拳で繰り返し経験することが出来ます。 この源のない勢を使っているととても気持ちよく,すがすがしい楽しい気分になります。

太極拳の練習をしていて熟練してくると、必ずと言っていいほどこのような感覚が増えてきます。

無源のものを使っていると、その無源のものが自分を通じて環流する感覚を思えます。

生命の内側から外側に向かっていき、又新たなものが生命の内側に新陳代謝するような感覚です。

太極拳の内丹では大周天と呼び、套路などでその感覚を経験します。

単純にイメージかもしれませんが,イメージではなく事実かも知れません。これが無源ということです。

「無源第四」道冲而用之或不盈。淵乎似萬物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似常存。吾不知誰之子。象帝之先。

新年あけましておめでとうございます。

無始から無終までを太極と考えているのが太極拳です。

始まりもなく終わりもないということです。

円運動や連続運動は、どこが始まりでどこが終わりということがなく、滔々と回り動き続けるというところです。

このような太極拳でも、無極という何もない完全なる無を迎えます。無極を呼吸などでいうと一切呼吸をしていないところです。意識ですらしていないところです。

そして、無呼吸から呼吸の揺らぎが生まれます。揺らぎは呼吸の始まりです。そしてその呼吸は充満と消滅というピークを迎えます。呼気であれば身体の中の息は完全に外へ出て行きます。吸気であれば、身体の中は吸気で充満します。もう息を吐けない、吸えないというところです。

そしてその呼吸は体内で充満がはち切れ、また体外に出尽くして、呼吸は無極を迎えます。意識を失いそうになるときです。座禅でいう無の状態ですが、それを太極拳では動きの中で絶えず繰り返していきます。その連綿たる動きによる発動が太極拳の原理です。いつまでも止まらない躍動的な動きです。

太極拳の套路はいうなれば、何度も何度も大晦日と新年、季節の春から夏、秋そして冬を迎えながら、心身の織りなす歴史を套路の中で繰り返しているようなものです。

一年に置き換えると、元旦は揺らぎの始まるとき、そして大晦日は充満や消滅を迎えるとき、そして除夜の鐘を聞きながら充満や消滅が消え去り、完全なる無に消え入るときです。

そして日の出と共に、又は除夜の鐘が鳴り終わるのと共に、揺らぎが始まります。

人生の1年は365日ですが、太極拳の1年は一呼吸です。

今年もゆっくりゆっくりと人生の一年をかみしめて、又新たな揺らぎを始めたいと思います。

それでは皆さん旧年中はお世話になりました、本年もよろしくお願い致します。